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第126回「スコットランドの住民投票」(2014.10)

学長補佐・図書館長・教務部長・教授 永沼 充

学長補佐・図書館長・教務部長・教授 永沼 充

  スコットランドの独立を問う住民投票の直前、8月末に現地を訪れる機会があった。青地に白の「YES」の看板が掲げられた家々が目立つので何だろうと思って尋ねると独立賛成の意思表示とのこと。さすが民主主義の先進国と感じたが、もっと深い思いがあるようだ。エジンバラからハイランド方面に北上する途中、グレンコー(現地語で「嘆きの峡谷」)という観光スポットで途中下車した。氷河が削った美しい谷ではあるがハイランド地方ではグレンコーという名前は美しい谷というよりグレンコーの虐殺としで語られることが多いらしい。「血なまぐさい」事件の多い英国の歴史の中では犠牲者の数からするとさほど大きな事件ではなさそうであるが、スコットランド人にとって忘れることができないのはなぜか?

 

  ハイランドの氏族の間には「客人には宿と食事を与えよ」との風習がある。虐殺されたグレンコー村のマグドナルド氏族は、政府の密命を受けて訪れたキャンベル氏族に宿を提供し酒食のもてなしをした。その翌朝、1692年2月13日の早朝、村の出口を封鎖されてマグドナルド氏族の大半が殺された。ガイドの長い説明を3行にまとめるとこのようになる。その後、1707年にイングランドに併合され、1999のスコットランド議会の開設を経て今日のスコットランドがある。この事件の解釈には様々な論があるようだが、現地で感じたことは、どこの国にも見られる中央に対する地方の反発に、「恩を仇で返す」この事件が綯い交ぜになっているのではないかということである。物理的な傷は時が癒すが心の傷は300年以上経った今でも癒されないということか。自らが負った傷でなくても、である。もちろん、他にも似たような出来事がたくさんあったのだろう。

 

  イングランドの独立反対派の多くの人たちも、スコットランドで生まれ育ったら異なる考えを示しただろうと思う。私たちの大半は出生と同時に自動的に日本国民となるわけで、好んでなったわけではないが、いつしか日本人としてのアイデンティティーを意識するようになる。国籍というどうにも変えようのない器に馴染んでいく。文化や教育の大きな力であると思う。もっと小さな単位でいえば、子は親を選べずに生を受けるのだから親子の絆においても同じ事が言えるだろう。その絆が少しづつゆるんでいくような気がして心配である。改めて、今こそ教育の出番ではないか、と思う。

 

  結局、スコットランドは英国に残留することとなった。なぜかほっとした、というのが私の感想である。



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