第158回「花」(2016.3)
2016/03/22
「子どもは種である。」小さな種の中に、いつか大木となり多くの実をつけるすべての可能性が秘められている。
お葬式に参列した後、しばらくして送られてきた小さな本に、そう書かれていた。1998年2月。とても寒い日、教会の白い部屋、棺を囲む白い花々。棺の扉は固く閉ざされており、私はその方のお顔をついに見ることがなかった。その方とは、私の指導教官の指導教官であった方、荘司雅子先生である。荘司先生のご養女から送られてきた先生のエッセイに、強い印象を受けた。
荘司先生は、ご存知の方も多いと思うが、シラー賞を授与されたフレーベル研究の大家である。人間の可能性に寄せる期待、一粒の種が大木へと成長していくイメージ。学者という範疇を超え、多くのファンがいた先生の文章の背後に浮かび上がってくる風景は、花々、木々、それらが一体となったガルテン(ドイツ語で「庭」)である。フレーベル(幼稚園=キンダーガルテンの創始者)の子ども観と連なるイメージであろう。人間を植物と見立てると指摘されている日本人の人間観と重なるイメージではなかろうか。
「真の速さは目に見えない。風が起き、雲が湧き、日が落ち、月が昇るように、人知れず木の葉が色づき、赤ん坊の歯が生えるように、そして、いつの間にか誰かを愛しているように。」
「プロミス」(チェン・カイコー監督、2005年)という映画の中で、時空を超えることのできる黒衣の男が語るセリフである。この映画を作るために監督は、古今東西の神話を徹底的に研究したという。神と交わした約束(プロミス)は変えられない、というタブーを超えて真実の愛を追い求めようとする男女が主人公である。この映画の冒頭で、咲き乱れる海棠(かいどう)の花がゆっくりと散る映像が流れる。海棠の花言葉は「艶麗」、海棠の花がヒロインの傾城(チンチャン)のイメージと重ねられているのは明らかだ。海棠の開花期は4月から5月、ピンク色の可愛い花を咲かせる。東洋人の人間観は、植物イメージという点で共通しているのであろうか。日本人の場合、おそらく花と言えば桜。3月のこの時期、人々はそわそわしはじめ、花が咲くのを心待ちにする。可能性の結晶体としての花。いつの間にか満開になって咲き誇る花。薄紅色の桜の花びらが風に舞う風景を、早く見たい。いろいろな人の顔を思い浮かべながら。