TEIKAジャーナル

第30回 「考え続けるということ」(2011.4)

2011/04/30

 いつもと違う4月を迎えました。大震災の被災者に遠慮してか桜の開花も遅れています。この一ヶ月いろいろなことを考え、また、考えさせられました。

 前回のこの欄で、「自然は嘘をつかない、誰にでも開かれている」、そのことが私をして理工学に向かわせたと述べました。科学技術の手法では、対象である自然を客観的に捉え数量化して解析します。その恩恵により、私たちは病気や死の恐怖から解放され、夜のない世界を創造し、利便性を享受してきました。あたかも自然を征服したかのようですが、今回の災害は、自然は征服する対象ではないということを私たちに明確に知らしめたのです。共存する対象なのだと。「共生」という古くて新しい言葉が科学技術にも強く求められていると感じています。

 3月11日以来、テレビや新聞は地震と津波、そして刻々と変わる原子力発電所の状況に多くの時間と紙面を割いています。そんな中、思想家の吉本隆明さんの「絶えずいつでも考えています」というインタビュー記事が目にとまりました。地震の10日くらい後の新聞の目立たないページでした。主題は「切実な私事と公」。家族の看病や家族の死といった切実な私事と、公の職務が重なってしまったとき、どっちを選択することが正しいのか。肉親を亡くしたり行方が分からなかったりして切実な私事をかかえる被災者自身が役目柄被災者を助ける側に回っている状況を私なりに想像してみました。消防、警察だけでなく学校の先生など、当事者になった人は多いと思います。吉本さんはマルクスやレーニン、親鸞の著作や考え方を引いて、自分ならどうするだろうかと考えています。どちらを取るかは、比較の問題でも善悪の問題でもなく大変重い問題で、私には答えは出せませんが、記事の冒頭の3行がストンとこころに収まりました。『未曽有の災害の状況が進行中ですが、お前は考えているのかと問われれば、絶えず考えています。いくら考えてもわかんねえってこともありますが、自分なりに、ずっと考えています。』 吉本隆明さんは東工大の化学を卒業した理系の思想家です。現在86才で、目や足腰に不自由を抱えているようですが、それでも妥協せずに常に考え続けている。大切なことと感じました。

 考えることの中身は人により千差万別あって良いでしょう。児童教育学科の学生達には、少なくとも、考え続けることの大切さを教えていこうと思っています。

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