第32回 「3・11の出来事」(2011.5)
2011/05/26
今もときどき余震が続いています(4月下旬)。3・11の出来事は、自然災害とはいえあまりにも悲惨です。こうして文章にしたり言葉にしたりしても尽くせないところがあります。
突然の大地震、想定外の津波、そしてレベル7の原発事故とたて続けの災難です。私たち一般市民や専門家の想像をはるかに超えた事態に至っています。死者・行方不明の方が2万8千人を超え、避難生活や移転生活を余儀なくされる人々も三十数万人にも及ぶと聞きます。
自らに何ができるのかとの歯がゆい問いをしながらも、多くに人々の<こころ>を尽くした復興への努力と希望を持ち続けることを願うしかありません。
その日の翌日、宮城県出身のゼミ学生に連絡がとれました(当日は連絡がつかなかった)。無事である旨の声をきくことができました。彼女の家族や自宅にはとくに被害はなかったとのことです。しかし、出身地の隣町は悲惨な状況であること、出身も高校も大きな被害に遭ったことだけを話してくれました。なぜか、彼女に詳細を聞く心境になれません。元気な声を聞くだけで、私の役割を果たしたような気がしています。私の理解にあること以上に、彼女に大きな<こころの痛み>があることを察するからです。新年度のいま、2年生になった彼女に大学で出会っています。「大変だったね。故郷のことが気になるね」、「はい、そうです。・・・」、お互いにそれだけの会話です。あとは、授業や大学生活の話に終始しています。
それが現実となった日から、テレビのニュースで事の動きをみています。ただ、黙してみるだけです。多くの場面で、喪失感と無力感に襲われます。その対局で、復興に向けた多くの人々の努力とボランティアにこころを動かされます。その事態の1週間後ぐらいであったろうか、いまだ会えぬ母親に「おかーさん」と嗚咽する子ども、友人を亡くした悲しみをこらえて卒業式で答辞を読む中学生、家族を捜して避難所を渡り歩く人・・なんとも痛ましいニュースに触れたところです。
それらの中で、2年前に研究会で訪れた相馬市の学校や地域も壊滅的な被害を受けていることを知ります。授業で元気よく発表していた子どもたちは、子どもの学びに笑顔で応えていた先生たちは・・、思わずその学校の研究冊子を書棚から取り出して見たところです。集団活動のよさと人間関係づくりをテーマに、小・中一貫の実践を展開し、また地域と一体となって教育を進めている学校です。その営みのままに新学期を迎え、今を生き、この現実から立ち直り、希望を持ち続けてほしいと。教育を生業とする一人として、そう願わずにいられません。