第37回 「今という時」(2011.6)
2011/06/23
世界は常に変化している。私たちの人生もまた変化の連続である。しかし、普段そうした小さな変化に気づくことは少なく、今日は昨日の続きとして、明日は今日の続きとして私たちは安穏に毎日を送っている。
業績が順調にみえたIT企業が数年後に破綻。デビュー後パッとしなかった女性歌手グループが数年後に大ブレイク。時の話題となったこうした現象も、どこかの時点で何らかの変化が起こっていたに違いない。一人ひとりの人生についても同様のことが起こっている。
長い時間が流れ、のちになって過去を見渡した時、あの時が変化の時だったと気づくことがある。「あぁ、あの時に戻りたい。やり直したい」と後悔したことはないだろうか。変化を見逃していたのだろう。もう少し大きな変化であったら気がついていたかもしれない。そのように考えて諦めるのである。
だけどそれは正当な理由づけだろうか。本当に気づいていなかったのだろうか。薄々気づいていながら、変化を変化として認めることをためらってはいなかっただろうか。ひとは自分に不利な変化は認めたくない。そういう心理が判断を誤らせていたとすれば、責任は変化にあるのでなく自分にある。
3.11の大震災は、我が国に極めて大きな変化を及ぼした。国家戦略も経済プランも何もかも白紙に戻して、国家が生き残るための「別の道」を歩まなくてはならなくなった。サスティナブル(持続可能)な道からさらにオルタナティブ(別の)の道を模索しなくてはならない。それは同様に私たち一人ひとりの生き方の「別の道」でもある。これを認めることをためらってはいけない。今考えなくていつ考えるというのか。この大きな変化をも見逃す人は、小さな変化に立ち止まることはない。そういう人生を歩むことになるだろう。もちろん厭世的になる必要はないが、事態に目を背けずに、自分はどう生きるかを考え直さなくてはならない。それが今という時だと思う。