TEIKAジャーナル

第39回「学習された無力感」 (2011.7)

2011/07/12

 学校現場にいらっしゃる先生方の多くは、受け持たれている児童生徒に、やる気を出して欲しいと願っていることでしょう。学習のつまずきも、「やる気」さえあれば、乗り越えられるとお考えであると思います。

 やる気と関係する言葉に、自己効力感(self-efficacy)があります。自己効力感とは、カナダ人心理学者アルバート・バンデューラが提唱したもので、自己効力と言われることもあります。類似する言葉に自尊心(self-esteem)という言葉もありますが、自尊心は本人自身の価値に関する感覚であるのに対して、自己効力感は自分の目標に対する能力があるかどうかという感覚で、少し異なります。私の研究は、児童生徒の持つ感性的な理解を概念的な理解に変容させるために(つまり、子どもたちがより深く理解するために)、教材の開発や指導法を改善すること。そして、その教育効果を検証することにあります。しかし、どのようなアプローチをしても、不思議と最後には自己効力感を高めることの重要性に行き着いてしまいます。

 ある時、仲間の先生と、「やる気を高める指導法の研究はあるけど、やる気を失わせるような研究はないよね。」という話をしました。確かに、教育実践学の研究としては見当たりません。しかし、心理学を少しかじられたことのある方はご存じの通り、やる気を失わせる研究は「学習性無力感(learned helplessness)」という言葉で知られています。今から40年ほど前、心理学者マーティン・セリグマン(Martin Seligman)が、学生時代に思いついたことを10年かけて実証したことで知られています。それは、2匹の犬に電気ショックを与え、1頭の犬はボタンを押すと電気ショックから逃れられるスイッチを用意し、もう1頭の犬には押しても効果のないダミーのスイッチを用意するという実験です。しばらくすると、ダミーのスイッチを与えられた犬は、電気ショックを加えても何も反応しなくなります。長期間、抵抗や回避困難なストレスと抑圧の下に置かれると、「何をしても意味がない」ことを学習し、逃れようとする努力すらしなくなるのです。

 私たちの周りに、こうした無力感を与える刺激は存在しないのでしょうか。先日、ある幼稚園を訪問した折、園長先生から、「あの子は、数字に色を塗るといった数遊びになると、いつでも『俺やらない』といって逃げていってしまうんです。」という話をお聞きしました。聞くところによると、他の子より、ゆっくりしているため、教室に一人残ってやることが多かったようです。その結果として、「僕は、何をしても(みんなと同じに)できない。」という感覚(無力感)だけが残ってしまったのかもしれません。私が中学校の教師をしていた頃、数学の授業になると腹痛を訴えて保健室に行く生徒が居ました。話を聞くと、授業の最後に行う計算ドリルが嫌で仕方がないとのことです。その時彼が口にした言葉は、「俺、頭悪いから。」でした。

 私たちが、良かれと思ってしていることが、全く逆に作用することがあります。その子にとって本当に良いことは何か、そう考えると教育とは改めて実に深い研究分野であると思います。

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