TEIKAジャーナル

第43回「下町今昔」(2011.9)

2011/08/24

8月初旬から、幼保コース2年生が保育所実習を行っています。学外実習は2月の施設実習に続き2度目となり、少しは自信を持って望んでいることと思います。

今回私が巡回指導を担当した保育園は、大正12年創立という歴史のある園です。そして、この保育園は、私の母、母の姉妹、弟、従兄が通った園でもあるのです。残念ながら私だけは違う園にお世話になったのですが。

共働きをしていた両親に代わり、弟のお迎えは小学生だった私の仕事でした。友達と遊んでいてもお迎えの時間になると、後ろ髪引かれながら保育園まで走っていったものです。下町の細い路地沿いにある保育園で、向かいにお肉屋さん、その隣にお豆腐屋さん、駄菓子屋さん、乾物屋さんが並んでいました。お肉屋さんではコロッケやメンチカツを揚げて売っていて、ちょうどお迎えの時間は夕食前のお腹がすいている時なので、園の前で立っているとそのいい匂いでお腹がグ~ッとなったものでした。

降園の時間になると、重い鉄の扉がガラ~と開いて、園児たちが出てきます。弟を見つけ、適度に寄り道をしながら帰ったのを覚えています。神社の境内、都電の電車道、空き地など遊びには事欠きませんでした。

巡回指導の当日、朝からなんとなくソワソワしていたかもしれません。保育園に行くのは40年ぶりくらいです。私が生まれた助産院の跡地を見つけたり、当時の遊び場だった都電の電車道を眺めたりしながら保育園まで向かいました。通い慣れていたはずなのに、入る道を1本間違えて迷いそうになりました。なぜなら八百屋さん、酒屋さん、乾物屋さん、お豆腐屋さんはもうすでにありませんでした。向いにあるいつも揚げ物のいい匂いをさせていたお肉屋さんも普通の住宅になっていました。道幅だけは細いままで変わっていませんでしたが、その様子は昔と違った顔をしていました。そして、保育園もあの重い鉄の扉ではなく、園庭が見渡せる見通しの良い正門になっており、建物もキレイで当時の面影はありませんでした。園長先生にお聞きしたところ、10年前に改築したとか。「それまではあの重い鉄の扉も残っていたのですよ。」と懐かしそうにお話されていました。

千住キャンパスから15分ほど歩いたところに「町屋」という駅があります。保育園はその町屋にあります。昔ながらのお店屋さんはなくなってしまいましたが、細い路地や昔ながらのたたずまいの家が存在する町です。秋風が吹き始めたら、もう一度その界隈をゆっくり歩いてみたいと思っています。

TOP