第45回「想定外」(2011.10)
2011/09/27
人工衛星が落ちてくるという報道のさなか、9月24日の新聞各紙の科学欄に光速を超える粒子の記事が掲載された。ジュネーブの欧州原子核研究機構CERNから発射された素粒子ニュートリノが730km離れたイタリアの研究所の受信器に光より早く届いたという結果の報道発表である。もし、本当だとしたら、100年間物理学者が信じてきたアインシュタインの特殊相対性理論が崩壊することになる。まさに想定外、天動説から地動説への転回に匹敵するパラダイムシフトである。
大学時代の相対論では縦横高さのほかに時間を加えた4次元世界で考えることを教えられた。私たちは現実世界を3次元で体感しているわけだから4次元で考えろといわれてもぴんとこなかった。2次元平面で暮らす蟻には「高さ」の概念はないので3次元を飛ぶ蜂は見えないのではなく存在すらないのと同様に。頭の悪い私は友人とともに「信じるしかないね」と諦めたものだった。どんどん加速していけばロケットはいくらでも速く飛べるというのが体で感じる物理である。どんな物体も光速より早く移動できないことを頭では「信じた」ががっかりもした。超高性能ロケットに乗って夜空に輝く星を訪ねる夢が消えたからだ。
想定外といえば、東日本大震災に続く原発事故の後、あちこちで責任ある立場の人がこの言葉を発した。最近では影を潜めている。想定外が免罪符とならないことが分かったからであろう。私たちの教え子の多くは保育園や幼稚園、小学校でこどもたちを育む職業に就く。そこではまさに想定外の連続といって良いであろう。このような現場に送り出す学生をどのように育成したらよいのであろうか。想像力を育む、これ以外にないのではなかろうか。学科の目玉講義の一つであるこどもトピックスの講師に招いた圓窓師匠は「話す」、「聞く」、そして「思い描く」ことの大切さを色紙に残して下さった。思いをはせることは簡単なようで難しい。想像力、思い描く力は努力しなければ身につかない。時には常識を疑って見ることも必要であろう。目の前に見えること、書いてあること、教わったことに安住してはいけないのだと思う。学生たちには大学の教室から外に出ることを勧めている。特別実習Ⅰ~Ⅳはそのために設けた科目である。
さて、話を冒頭の超光速ニュートリノに戻そう。多くの物理学者が懐疑的である。100年もの間様々な物理現象を矛盾無く説明してきた相対性理論が崩れるはずがない、と私も思う。だが待てよ、3.11ではあり得ないと思っていたことが起きたではないか・・。