TEIKAジャーナル

第15回 「ここに生まれて ここに育つさいわい」 (2010.10)

2011/02/22

 私は、10年ほど前、長野県諏訪郡富士見町にある高原のミュージアム展示会場を訪れた折、「私の詩」と題された次の詩を目にしました。

  私はすべて自分の詩を 素朴なたくましい人々に贈りたい。民家の底にかくれた母岩
  世界を支える若さと力、あの美しい心と 勤勉な手を持つ 人々に贈りたい

 この詩は、詩人 尾崎喜八が色紙に書いたものです。尾崎喜八は、八ヶ岳のふもとに広がる富士見高原の「分水荘」に、昭和21年より7年間居をかまえ、「富士見に生きて」など和らぎのある、しかも心にしみ通る多くの詩を世に出しています。晩年の昭和47年には、この町にある富士見小学校校歌を作詞したということで掲示してありました。

一 ------------------------------
  ここに生まれてここに育って
  ここにみんなで学ぶさいわい
  そのさいわいを忘れまい
二 ------------------------------
  ここに育ってここに学んで
  やがて世に出る時のこころを
  この学校で磨くのだ
三 ------------------------------
  ここに学んで 人と成る日も
  幼な心の帰るふるさと
  このふるさとを忘れまい

団体での鑑賞であったため、時間を気にした私は、この歌詞を急いでメモしました。喜八の直筆は極めて読み易い、柔らかなペン字で記されており、何より、歌詞に子どもを育てる強い願いが響いています。私が育った九州の田園にある小学校の校歌もこんなだったかなと、ふと思い起こしてしまったほどです。

 喜八の歌詞は、三番までの構成で、それぞれ後半部の3行は左掲のようになっています。「ここに生まれて」「ここに育って」「ここに学んで」の言葉が目を引きます。この歌詞には小学校の教育で果たす願いが込められているのだと、感嘆しきりであったことが、今でも思い出されます。

学校は、みんなで学ぶさいわいを、子どもに忘れさせてはなりません。友達がいてこそ、かかわり合い、学び合う喜びを味わうことができるのです。そのため学校は、豊かな『心』をもった人間らしい子どもに育てあげる努力をしなくてはならないと思います。素直な心、感謝する心、思いやる心、反省する心、我慢する心、分かち合う心などを幼児期から育て、「人に何かされても仕返しをしない子ども」に磨いていく必要があります。
 喜八の歌詞が示すように、世の中に出ていくときの基本を学校で育てていくのだと、私は考えています。自分の育った、この家庭、この学校、そしてこのふるさとを忘れない子どもにすることです。こうしたことが、新たな時代に向けた、「子どものための原点に立つ」学校の役割ではないかと思います。本学の児童教育学科で教育の基礎を学ぶ意味も、実はここにあるのです。

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