TEIKAジャーナル

第19回 「ノーベル賞とセレンディピティ」 (2010.11)

2011/03/04

 発見は、それをしようとしても簡単にはできない。しかし発見をするときは、それほど難しいことではなく、割と簡単にそれは訪れる。

  2010年度のノーベル化学賞を根岸英一氏、リチャード・ヘック氏とともに受賞された鈴木章氏が、直後にテレビの電話インタビューで語っておられた言葉である。ぼんやりとテレビを見ていたので、慌てて書き留めたから正確ではない。概ねこのようなことを話されていたという記憶である。

  この言葉を「謙虚」と受け止めるだけでは、鈴木氏の真意は伝わらない。彼はセレンディピティについて語っているのである。

  セレンディピティは「偶然をとらえて幸運に変える力」と解される。発見は偶然かもしれないが、その偶然に巡りあう機会はあっても、それを生かすかどうか、その対応の仕方が肝心である。偶然は本来、誰にでも訪れる。しかし、いつも頭のどこかで考え、見つけようとする気持ちをもち、見つけるための努力をしていないと、それが幸運に変わりうる偶然であると気づくことができない。強い意志と不断の努力がなければ、偶然とは出会えないのである。

  実は、ちょうど10年前にやはりノーベル化学賞を受賞された白川英樹氏も、同様のことを述べられている。白川氏の受賞は、導電性有機膜の発見によるものだが、その発見のもとになったのが実験の失敗であった。他のテーマの実験中に失敗して訳のわからない塊ができたのを、不思議に思って捨てずに調べたら電気を通す物質であったというからおもしろい。世界的発見のきっかけは、実験の失敗という偶然にあった。

  肝心なのは「不思議に思って捨てずに調べた」というところである。普通なら、即ゴミ箱行きのものを調べようと思ったのは、単なる気まぐれではない。研究に対する白川氏の強い意志と不断の努力がそうさせたのだろう。事象に関するアンテナの感度が高まっているからだ。

  このことはノーベル賞に値するような研究に限ったことではない。私たちの毎日の生活にも同じことは起こる。生活の中で遭遇するさまざまな事象。その中に幸運に変わる偶然も無数に含まれているはずだ。それに気づくことができるだろうか。気づいて幸運に変えることができるだろうか。セレンディピティを発揮できるか否かは、あなた次第である。

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