TEIKAジャーナル

第22回 「一枚のハンカチ」 (2010.12)

2011/03/09

 自動車ディーラーから、若い営業マンが自宅に訪ねてきた。「エコカー補助金が無くなってから、車が売れなくて困っています。」などという話をしていると、ふと、その方の鞄に目が止まった。鞄と言うより鞄の下に敷いている布にである。それは、一枚の白いハンカチだった。

  二十代の若い営業マンが、自分の鞄の下にハンカチを敷いているのだ。私は、最近こうした何気ない心遣いに出会うと、ホッとする。

  私が学生の頃は、道路も電車の床も、ガムや煙草の吸い殻で汚れていて、とても床にものを置ける状態ではなかったように思う。また、駅のトイレもとても汚かった。当然、床に鞄を置くときには新聞紙を敷いてから置いたし、駅のトイレにはできるだけ入らないようにして、急いで家に帰ってから用をたしていた。ところが、最近気づいたのだが、東京の道路も電車の床も駅のトイレも、やけに綺麗になったように感じる。そのためか、やたら道路に座り込む若者を見かけることがある。日本人の民度が、この数十年の間に上がったのだろうか。それとも、行政や企業が清掃活動に力を入れ出したのだろうか。詳細は不明である。

  ある方の話では、阪神淡路大震災、オーム真理教事件、酒鬼薔薇聖斗事件を境に、社会構造が変わってきたという。一種のパラダイムの転換である。そして、日本人の心も、世の変化に伴い、清く正しく美しくなってきた.....?イヤイヤ、何かおかしなことばかりが起こる世の中である。

  もしかして今の私は、村上春樹の「1Q84」のように、別の世界に紛れ込んでいる可能性だって否定できないのだ。だからこそ、若い営業マンが、鞄の下に敷いた一枚のハンカチを見て、元々暮らしていたはずの世界を思い出し、清々しく懐かしいと感じたのかも知れない。例え、それが上司のたゆまぬ教育の成果であったとしても、そういう心遣いのできる上司がこの世(今私が存在しているところの世界)に存在することに感謝する。

  教育とは、いつの時代いやどの世界にあっても、人を気遣う気持ち、思いやる気持ちが基になっているのだと、一枚のハンカチを見て改めて感じた。

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