第24回 「千住の街を歩く」(2011.1)
2011/03/14
私は、時間を見つけては研究室を出て、カメラ片手に千住の街(まち)観察をしています。最初はガイドブックを参考に、史跡や文化財などを探訪していましたが、最近は特に目当てを定めずに、ぶらり歩きする回数が増えてきました。街観察ではいろいろな発見や出会いがあります。自動車やバイクの往来で賑わう日光街道(国道4号線)を外れ、狭い路地に足を一歩踏み入れると、個々の家が丹精込めた植栽が数多く見られ、ほっとします。千住大門の商店街を歩くと、店の人と顧客の人の会話が聞こえてきます。街ゆく人々は顔見知りが多く、お年寄りが幼稚園児に気軽に声をかける光景はなんともほほえましい限りです。この商店街では「千住カフェ」の幟がみられ、帝科大の学生が一休みする場が用意されています。千住にはこうした下町情緒とも言える雰囲気が残されているのです。
千住の街は、江戸時代に日光道中・奥州道中、水戸佐倉道の初宿として栄えました。品川宿(東海道)、内藤新宿(甲州道中)、板橋宿(中山道)とともに江戸四宿の一つに数えられ、多くの人々の往来で賑わいました。江戸に近いので、江戸を出立する旅人の見送りや、長旅を終えていよいよ江戸へ入る旅人の出迎えの人々で賑わったそうです。かの松尾芭蕉も、深川から隅田川を舟で遡上し、千住に上陸、多くの門人が見送るなかを、陸奥へ旅立ちました。この千住宿の名残も街観察で見つけることが出来ます。千住は、宿場町としてだけでなく、江戸と郊外を結ぶ流通の拠点としても栄えました。そうした街の性格は、いくつもの鉄道が乗り入れる、今日の北千住駅を中心とした千住地域の発展とも重なります。
私の街観察は、児童教育学科の学生向け教材発掘の一環でもあります。小学校の社会科、生活科、総合的な学習の時間などでは、地域の文化財や公共施設・伝統行事などの地域素材を取り上げて教材化する例が、多々あります。私たちは、普段見慣れている景観にあまり関心を持ちません。意識しないと見えるものも見えない(疑問に思わない)ので、教材としての価値があるかどうかの見極めもできません。このことは地域に暮らす子どもたちにも言えます。しかし、見慣れた景観も意識して見ればいろいろな発見があります。たとえば、日光街道沿いには高層マンションが林立し、今も新しいマンションの建築が進行中です。その日光街道を一歩外れると、狭い路地をはさんで古い木造民家が密集しています。新旧市街地の比較観察により、千住地域が確実に変化している様子が見て取れます。子ども達は、身近な地域を注意深く観察することで、今まで気付かなかったことに目を向けられるようになります。こども達の発見した地域事象を教材化し、学習課題にすると、今度は見えるもの(観察したこと)から見えないもの(地域の成り立ちや構造など)を引き出す学習活動が成立する可能性が生じます。このように、街観察は小学校社会科の重要な学習方法の一つなのです。
身近な地域の見慣れた景観から教材を発掘するには、教師自身が学校の周辺を歩くことが必要です。学区域を歩くことによる発見は、社会科の教材開発に限ったことではありません。児童の生活する地域を知ることは、安全指導、学級経営などの教育活動にたくさんのヒントを与えてくれるのです。しかし、意識して見ないとそのヒントも得られません。将来、小学校・幼稚園の教員、保育士をめざす児童教育学科の学生には、こうした地域素材を発掘し教材化する方法や、その視点を学んでほしいと願いながら、街観察を続けています。