TEIKAジャーナル

第27回 「台風の思い出」(2011.2)

2011/03/20

 今年のはじめ、今年の気象予測が報道されていました。

  その中に、今年は昨年に比べ台風が多いかどうかという予測がありました。

  台風という言葉を聞き、思い出すことがありました。ちょっと時季外れですが、台風の話を書きます。

  それは、幼いころの私にとって、様々なことを考える上での土壌となるような心的な体験でした。それをお話します。(思い出を語るためにここから文体を変えて書きます)

  小学校2、3年生ぐらいの時だった。当時は、台風直撃の恐れありという情報が入ると、現在のようにアルミサッシが普及していなかったからだろう、どの家も雨戸を閉め、×印に板を打ち付け、ガラス窓を板で塞いだものである。その仕事を父親と一緒になってしたことが忘れられない思い出になっている。

  もちろん、小学校2、3年生ぐらいである、たいした手伝いなどできなかった。釘を一本ずつ父親に手渡したり、小さめの板きれを運んだりした程度である。しかし、その思い出は、なぜか緊張感と浮き浮きするような感情とともに思い出されるのだ。

  それは、子ども心に、父親と一緒に家を守っているという自負心と、さあ台風と戦うんだぞ、台風よ来てみろといった昂揚、同時に、「大丈夫だよねお父さん」といった父親への信頼と依頼が入り交じった感情だった。

  すべての窓と雨戸を打ち付け、暗くなった家の中で、停電に備えて蝋燭とマッチを母が用意している。この父親と母親のそれぞれの仕事が、子ども心に実にぴったりとあっていた。時には、母親の仕事に、おにぎりを作る仕事が加わった。レトルト食品などない時代であった。そのおにぎりを台風と戦うどの時期に食べるのかが、次の楽しみであった。

  「台風よ、早く来い。平気だぞ」と、子どもは構える。しかし、父親は、母親とお膳をはさんで、台風とは別の話を笑顔で話している。これがまたいい。頼もしさと、安心感、そして、そんな二人の余裕を生み出すことに、自分もわずかながら力を貸したんだという自尊心がくすぐられる。「後は、僕に任しとけ」といった気分にさせてくれた。

  しかし、風が吹き出し、雨が強まり、雨戸や屋根をたたき出すと、自然に対する畏怖も徐々に起こってくる。そして、電気がすっと消えた瞬間の恐ろしさと緊張も忘れられない。早く過ぎ去ることを何かに祈っていた。その何かは、父親が毎朝手を合わせていた神棚につながっていた。電灯が消えた後に、母が灯した蝋燭が、こんなにも力強いものかと思わせてくれもした。そして、家族でおにぎりを頬張る喜びをつくづくと感じたものだった。 そして、明日の朝は澄み切った空が戻っていることを確信しながら、いつしか母のそばで寝ていた。

  こんな体験を子どものころに持てたことは、幸せなことであると思う。また、こんな体験を子どもにさせたいとも思う。現代、台風に代わるそれを探すのは難しいが。

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