TEIKAジャーナル

第66回「ビニール傘の思い出」(2012.6)

2012/06/04

   私が、小学校教師になった年のこと(ずいぶん前のことです)。

   今では、ほとんど行われなくなった家庭訪問があった。担任教師が、受け持ちの児童の家を回り、保護者と話をするというものだ。

   その日は、ちょうど雨が降っていた。ビニール傘をさして出かけようとしたその時だった。

   先輩の教師から、「その傘さしてどこ行くの?」と声をかけられた。

   はじめこの質問の意味がわからなかった。今日の午後は、全校あげて、家庭訪問をすることになっていたのだ。そのことを先輩教師が知らないわけはないと思ったのである。

   「家庭訪問です。」当たり前でしょといった口調で答えた。

   「家庭訪問に行くのなら、その傘はやめなさい。私のこの傘をさして行きなさい。教師は、持ち物でも教師としての振る舞いを示すものです。」

   家庭訪問に出かけようとする何人かの教師が玄関に出てきて、当たり前のように、黒い傘や派手ではない色の傘をさして出かけていった。ビニール傘を手にする教師はいなかった。

   この先輩の一言は、ビニール傘をさして家庭訪問をする自分の姿を思い描かせた。雨に濡れないように、自分のためだけに傘をさすなら何の問題もない。しかし、学校での子どもの姿を親に伝え、自分の教育について 理解を求め、親の学校への願いを聞こうとする家庭訪問には、ビニール傘はふさわしくないのである。理屈ではない。むしろセンスの問題なのだということに気づいた。

   このときから、「教師としての振る舞い」ということの意味を考え、教師としてのセンスを磨くことが私の課題になった。教師の持ち物は、教師の行動とに関わって、保護者や子どもに様々なメッセージを発する。先輩教師の「教師としての振る舞い」とは、そのことを意識しなさいということであった。持ち物だけではない、言葉遣い、子どもへの接し方、保護者に接するすべてが「教師としての振る舞い」と受け取られるのである。

   「自分のその振る舞いは、教師として適切か?教師としてのセンスあるものか?」この自問自答が、私自身の「教師」を育てた。

   先輩教師の一言は、私に、教師としての道を示し、その道の歩み方を教えてくれたものだったと、今も思う。

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