第94回「幼児と大学生のコミュニケーション」(2013.6)
2013/06/30
以前、大学生といっしょに幼稚園に伺ったときの出来事である。
幼稚園は、園児たちと大学生が自由に遊ぶ時間を設定してくれた。園児たちは、大学生の傍に駆け寄り、思い思いに自分たちの遊びたいものや場所に大学生を誘う。そんなとき、一人の大学生(以下、「Aさん」)は、一人の女の子が気になった。その子(以下、「ユミちゃん」仮称)は、他の子のように大学生を誘うこともなく、一人でぽつんと砂場の端っこに腰掛けていた。
幼稚園の訪問が終わった後、「あなたはユミちゃんとずっと遊んでいたね」という私の問いかけに、Aさんがユミちゃんを見たときの第一印象を次のように私に語ってくれました。
何かすごくユミちゃんが気になったんです。みんな大学生と遊びたくて、手を引っ張って遊び道具のところに行ったりしていたでしょ。でも、ユミちゃんだけ、他の子と離れ、ひとりでぽつんと座っていたんです。それで、ユミちゃんのところに行って遊んでみようと思ったんです。今考えると、もしかしたら、私も幼稚園の時そんなことがあったなと思い出していたのかもしれません。
初めAさんは、ユミちゃんのそばに腰を下ろすと、「何しているの?」と問いかけた。しかし、なんの応答もない。ユミちゃんは砂を見ているだけだった。Aさんは、ユミちゃんの見つめている先に気がつき、「お砂であそぼうか?」と問いかけた。しかし、それに対しても何の応答もなく、相変わらずじっと自分の前の砂に目を落としていた。その後、「お砂好きじゃないの?」「お砂でお団子作ったことない?」とAさんは語りかけた。しかし、ユミちゃんはそのままだった。
Aさんは、どうしてよいかわからなくなり、問いかけを止め、目の前の砂を手に取って、指の間からサラサラと落とことをしばらく続けていた。その後、Aさんは、手から砂を落とすのを止め、一人で砂山を作り始めた。もくもくと砂山を作るAさんの姿を見て、私には、園児の存在を忘れ、砂山作りに夢中になっているように思えた。ところが、このとき、ユミちゃんは体を動かし、Aさんの傍にAさんと同じ姿勢になって、Aさんが砂を積み上げる後から同じように砂を両手ですくっては山に積み上げだしたのだ。「どんな山にしようか?」というAさんの言葉に、ユミちゃんは「高くしょ。トンネルつくろ。」と言葉を返すと、さっきまでの遠慮がちであった手の動きは活発になり、手を動かしながらときどきAさんの顔を見つめ出した。
Aさんの問いかけに答えず黙って砂を見つめているだけだったユミちゃんを、砂山作りに参加させたものは何だったのだろうか?
Aさんは、始め「何しているの?」「お砂であそぼうか?」「お砂好きじゃないの?」「お砂でお団子作ったことない?」というユミちゃんに語りかけた。しかし、この一連の語りかけは、Aさん自身が、「何かすごくあの子が気になったんです」と語ったように、Aさんにとって気になる子であった。その気になり方は、「みんな大学生と遊びたくて、手を引っ張って遊び道具のところに行ったりしていたでしょ。でも、あの子だけ、・・・」と語ったように、他の子との対比による気になり方だった。
Aさんの語りかけは、Aさん自身の「この子はどんな子か知りたい」というさぐりと、「気になる子と接触のきっかけを作ろう」という目的のものであった。しかし、その後のAさんの行動は、そうした直接的目的を放棄しているように見える。少なくと、「この子はどんな子か知りたい」というさぐりを止め、でもなんとかこの子とつながりたいがどうしてよいか分からない状態である。
砂山を作り出す前の砂をいじり始めたときのことをAさんは、こう語っている。
ほんとうに困っちゃったんです。こういうとき幼稚園の先生はどんな技術を使うんだろうと考えてました。でも、そんなこと分からなかったし、どうしようと思ったんです。でも、そのうち、自分が子どもの頃、一人で砂場で砂山作ったことがあったな、なんて思い出したんです。そしたら、砂山作りたくなって。
このAさんの言葉にあるように、Aさんの砂山作りは、「この子はどんな子か知りたい」とか、「気になる子と接触のきっかけを作ろう」といったことから解放された、砂山作りを楽しむ心的状態だった。ユミちゃんもまた、敏感にAさんのそんな姿を捉えたのではないだろうか。ユミちゃんは、初めAさんの様子を伺うように、砂を盛り上げていた。その動作は、懸命に砂山を作るAさんのじゃまをしないように気遣いながら、Aさんの砂山作りへの協働を申し込んでいる姿と読みとれないだろうか。Aさんの「どんな山にする?」という問いかけは、Aさんがユミちゃんを協働者としたことを認めた瞬間であり、同時にそのことをユミちゃん(園児)に伝えた瞬間だった。だから、ユミちゃんは、協働者として、「高くしょ。トンネルつくろ。」と返し、さっきまでの遠慮がちであった手の動きは活発になり、手を動かしながらAさんに視線を送ったのだ。この視線は、不安な視線でも懐疑的な視線でもなかった。この後には、二人が作ろうとする砂山がこれでよいかを確認するという、二人に共通の目的を遂行するためのコミュニケーションとしてのアイコンタクトだった。
Aさんの砂山を作るという行動が、ユミちゃん(園児)とのコミュニケーションの窓口を開いた。「何をしたいの?」という問いかけのときも、砂を手にすくい指の間から砂を落としていたときにも、コミュニケーションの窓口は開かれなかった。「何をしたいの?」という問いかけは、ユミちゃん(園児)に向けられた問いである。しかし、それは、「どんな子だろう」という大学生が第三者としてユミちゃん(園児)を捉えての問いかけだった。そうした問いかけにユミちゃん(園児)は、コミュニケーションをする二人称としてAさんを認知することはなかったのだ。
しかし、Aさんが砂山を作り出したとき、コミュニケーションの窓口は開かれた。Aさんはユミちゃん(園児)に見せるために砂山を作ったのでも、何かを伝える意図をもって作ったのでもない。この砂山を作るとき、Aさんは、ユミちゃん(園児)のことを全く忘れたり、無視したりしているわけではなかった。これは推測でしかないが、Aさんは、「自分が子どもの頃、一人で砂山作ったこと」を思い出しつつ、ユミちゃん(園児)の今の心と自分のその時の心を重ね合わせていたのだろう。ここに、Aさんのユミちゃん(園児)への認知、ユミちゃん(園児)のAさんへの認知が、三人称から一人称、そして、二人称へと変わり、コミュニケーションの素地が成立したということであろう。
コミュニケーションとは、相手を二人称(あなた)として捉え、相手もまた「あなた」として捉えるところから始まる。
ユミちゃんとAさんのできごとは、そんなことを教えてくれた。
「ユミちゃんは自閉症ぎみなんですよ。」と幼稚園の先生から聞かされたのは、園での活動が終わってからだった。