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第72回「震災の記憶を風化させない」(2012.8)

教授 村野 芳男

教授 村野 芳男

  昨年3月11日に発生した東日本大震災から1年余が過ぎた。被災地の復旧・復興が動き出したもののその進捗状況ははかばかしくなく(7月22日付け朝日新聞)、原発事故が起こった福島の人々は、住み慣れた土地に帰ることもできず避難生活を余儀なくされている。震災からの復興と原発事故の原因究明がなかなか進まないなかで、時間だけが過ぎ、原発再稼働などの新たな動きも進んでいる。

  今、被災地で復旧・復興に取り組む人々や避難生活を余儀なくされている人々が恐れていることは、大震災と原発事故のことが忘れられ、風化することであるということをよく聞く。全くその通りだと思う。しかしながら、時間と共に人々の記憶は風化してゆく。震災や原発事故の記憶を風化させず、震災や原発事故から学び続ける姿勢が必要に思う。

  私の前任校での取り組みの一部を紹介する。T教諭は、節目ふしめで震災や原発事故を題材にした授業実践に取り組んでいる。昨年11月には、修学旅行先である茨城県の農家が風評被害にあった事例を取り上げ、風評被害を作り出す原因の一部には私達の暮らしぶりにもあるとの立場から、持続可能な社会の在り方について問題提起している。今年3月には、震災での救難活動に携わった岩手県防災航空隊員を学校に招き、防災講演会を開催した。生徒に、被災地での苦労を共有・共感させたい、復興や避難生活は長期の問題でありそうした問題から目をそらさず、人ごとと思わないでほしいとの願いから企画したとのことである。さらに、5月の授業参観では導入に、防災講演会での二つのエピソードを取り上げ、授業を展開している。そのエピソードとは、一つは、防災航空隊員の鞄につけられたたくさんのワッペン。そのワッペンは、全国から集まった救難隊員たちが任務を終えて帰任する際に、残って救難活動を続ける地元の航空隊員へ「後を頼むぞ」の思いを自分の隊のワッペンに託したという話。もう一つは、救助されたおばあさんがたまたま持っていた蜂蜜を「私はいいから隊員さん食べな」と言ったという話であった。授業は、阪神淡路大震災での事例にも触れながら、自助・共助・公助の話へと展開していった。T教諭には、中学生を対象とした授業を行いながらも、参観した保護者をも巻き込む意図があったと読み取れる授業であった。3つの授業(講演)に立ち会った者として、T教諭の姿勢に共感すること大であった。

  おそらく、全国の学校の多くの教師達がその題材や取り上げ方は多様であっても、震災や原発事故の記憶を風化させてはいけないという思いで授業実践に取り組んでいるのではないかと思う。これらの取り組みが広がることは、間接的ながら被災地の人々にエールを送ることになり、延いては、一人ひとりの教師の教材開発力の向上につながってゆくに違いない。



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