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第83回「三遊亭園窓師匠との話」(2012.12)

教授 上野 行一

教授 上野 行一

  本学には、「こどもトピックス」というオムニバスの授業がある。毎回多彩なゲストスピーカーを招いて行う授業だが、本年度お招きした講師の一人である三遊亭園窓師匠と会談したとき、師匠が実に興味深いことを言われた。

  「私は噺家だから言うんじゃないけれど、世間では「話す、聞く」は「読み、書き」に比べると扱いが軽いのではないか」と。

  なるほど、洋の東西を問わず基礎学力といえば長い間、「読む力」「書く力」そして「計算力」と考えられてきた。江戸時代の寺子屋では「読み、書き、そろばん」を教えていたし、欧米では読み、書き、計算を表すreading、writing、arithmeticの各語にあるRをとって3R’s が基礎学力とされていた。「話す、聞く」は「読み、書き」に比べて重視されていなかった、という認識は正しい。

  師匠はさらに興味深いことを言われた。「話す、聞く」と言うが、順序から言うと「聞く、話す」が正しいのではないかと。

  これはすごいことを仰っていると、深く頷いた。ひとは母親の胎内にいる時から音声を聞いている。胎児の耳は妊娠4か月ごろから機能するというから、話せないけれど、聞くことはできるのだ。ひとはまず聞いて話せるようになる、という最新の医学的知見をさらりと仰ったのである。

  さらに師匠は、「聞く」と「話す」の間に大事なことがある、と仰る。それは「思い描くこと」だと。

  落語の小道具の扇子を取りだし、師匠は語る。ぼんやりと見ているといつまでたっても扇子は扇子にしか見えない。しかし話の内容に沿って、そばを食べる場面では箸に見えたり、違う場面では書道の筆に見えたり、刀に見えたりする。

  武士の居合抜きの話を語られているときに、こちらが真剣に聞いていると、腰から扇子を抜いたときに、刀の刃が見えるような気がする。これは場面に沿って相手の言うことを聞き、頭の中でそれを思い描いているからである。

  同じことをバフチンやワーチだったら、発話に向かう再構成の段階などと言うだろう。それを師匠はわかりやすい語り口で仰った。人生の知恵や機微をやさしく伝える、噺家という職業にはそのような側面もあるのかと、改めて思い知った次第だった。



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