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第90回「ことばをかける」(2013.2)

特任助教 安部 久美

特任助教 安部 久美

  先日、今年度保育実習をした2年生の実習日誌を読みました。2年生にとって初めての保育園実習です。公立保育園で実習をした学生の実習3日目の振り返りの記録内容に目が止まりました。それは、「・・・女の子が、暗い押入れのようなところで、絵本を読んでいました。暗いところだったので、『明るいところだと、うさぎさんがもっとかわいく見えると思うな』と言いました。明るいところに移って絵本を読めてよかったです。・・・」という内容でした。明るいところで絵本が読めるのに、暗いところで絵本を読んでいたので、学生が子どもに言葉を掛けた場面の記録です。この女の子はなんて幸せなのでしょうか。絵本の世界を遮断され現実の世界に戻されることなく、浸り続けることができたのですから。


  暗いところで絵本を読むのは、文字や絵が見えづらくなるため目の負担は大きくなります。目にとってよくないことであるので、このような光景には「明るいところで読んだらどうかな」など、直接的な言葉を掛けてしまいがちです。実際に、実習先の保育士の方々はそのような言葉掛けをされていたと聞きました。押入れのようなところは、隠れ家のような秘密基地のような特別な感覚もあり、子どもの遊び心をくすぐります。女の子が、その場所を選んで絵本を読んでいたことも、子どもの絵本の世界観の盛り上げに一役かっていたのかもしれません。子どものこのような感覚は見逃さずにいたいものです。


  絵本の世界は繊細で、私は、マリー・ホール・エッツの『もりのなか』(福音館書店)という絵本をよく学生に紹介します。一講義では収まりきれない程の魅力が溢れている絵本で、主人公の“ぼく”が森の中で動物たちと過ごし、最後にお父さんが登場するというお話です。その最後の場面で“ぼく”は動物たちとかくれんぼをしていて、今、動物たちが隠れていることをお父さんに伝えます。するとお父さんは「だけど、もう おそいよ。うちへ かえらなくっちゃ」「きっと、またこんどまで まっててくれるよ」といいました。このお父さんの登場で、絵本の世界に浸っていた子どもは、そっと、現実の世界に戻ることができます。さらに、このお父さんの「きっと、またこんどまで まっててくれるよ」という言葉で、絵本の余韻が残るのです。そこには、“ぼく”のあそびを優しく包んでくれたお父さんの肩車で家路に着く二人の後ろ姿がありました。


  女の子のその大切な感覚、絵本の世界を大切にしていた実習生の言葉掛けは、お父さんの掛けた言葉と同じくらい子どものことを大切に思って掛けた言葉ではないでしょうか。言葉の掛け方の奥深さを痛感すると共に、保育者を目指す学生の成長が楽しみでなりません。『もりのなか』では、黒のコンテに茶色が縁取られた表紙を捲ったら、黒のコンテのみの色付けされていない場面が続きます。『もりのなか』に入った読み手が、イメージを膨らませていくのです。あなたでしたら『もりのなか』は何色に染まっているでしょうか。

マリー・ホール・エッツ『もりのなか』福音館書店、1963



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