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第108回「卒 業 研 究」(2014.1)

教授 小池 守

教授 小池 守

  「学ぶ」とは、どんなことかと問われたら、「自分の頭で考え、判断し、表現する」ことと答えるだろう。しかし、なかなかできないことである。私の経験から言えば、あるテーマについてじっくり考え、予想し、実験し、その結果から一つの事実を見出していく作業は、実に楽しいことである。

  さて、大学では、いよいよ卒業研究の追い込み時期になった。現在、私の研究室には2名の4年生がおり、共に教材開発とその効果を検証する研究に勤しんでいる。卒業研究は、3年次後半から始まり、4年次の7月頃までには基礎実験を終え教材を完成させる。8月以降は、その教材を基に教育現場で検証実験を行い、教育効果を測定するというペースで進んでいく。

   7月の頃、学生から「もうこれで終わりですよね」という言葉を何度か聞いたことがある。同じような実験を繰り返す作業に耐えられなくなったのだろうか、もうこれで終わりたいと願っていたようだった。しかし、「今は、自分たちが考えた仮説を確かめるアイテムを完成させる段階。これから一番大切な実証実験ですね。仮説は検証して初めて理論となります。」と答えていた。こうして研究にまで辿り着かないうちに時間切れとなる学生が、実はとても多いのだ。

   12月に入り、いよいよ論文を執筆する時期になった。世の中には、「事実は一つ、解釈は無限」という実に優美で感覚的な言葉がある。しかし、この言葉は研究には当てはまらない。論文執筆中の学生から、「この実験から、分かることは○○だけですよね。」と聞かれたが、当然である。一つの実験は、原則一つのことを実証するために行うものなのだ。視点を変えると解釈や結果が異なる実験など行う訳がない。そのような実験を、条件統制が不完全で無意味な実験と呼ぶ。無意味な実験は幾らやっても、何も得るものはない。だから、一つの事実から、導き出される解釈は一つ出なければならないし、研究とは本来そのようなものなのだ。

  そうした研究生活を1年間送ると学生は成長する。事象に向き合う姿勢と課題を追究する姿勢が身につく。そして何より頼もしくなる。大学で学ぶとは、まさしく学問と正面から向き合うことなのだと痛感する瞬間でもある。



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