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第129回「心に王国をもつ」(2014.12)

講師 富岡 麻由子

講師 富岡 麻由子

  2歳の娘は、なんでも触りたい、真似したい、思い通りにならないと床に突っ伏して泣いたりします。親がパソコンをいじっていれば、10秒くらいで飛んできて割り込んできます。先日、飛んできた娘に私はついイライラし、「もう!ちょっと待って!」と声を大きくし、グイと強く腕をつかんでパソコンから引き離しました。娘はよろよろと尻餅をついたかもしれません。すぐに(あ、ちょっと悪かったな)と思いながらも作業を続けていると、娘がいつもとは違うトーンで泣き出したのです。うまく言えませんが、いつもより静かで悲しい、しかし毅然とした抗議でした。思わず手を止めてまじまじと娘の顔を見ましたが、「邪険に扱われて嫌だった」「そういう扱いは不当だ」と言っているように聞こえました。(私の想像する)娘の主張は全く正しく、親といえど、力にものをいわせた行動や人を蔑ろにするような態度はよくないはずだ、と反省をして謝りました。

 

  後日この出来事を思い返していて、ある文章の記憶がよみがえってきました。以下は、長谷川摂子さんの「王子様と王女様」という随筆からの引用です。4年ほど前にある季刊誌に掲載されたものですが、保育士として働いていたことのある著者が記す生きた子どものエピソードは、深く印象に残っていたようです。

 

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  るみ子ちゃんはおしゃべりで、おしゃまで、世話好きでクラスのお姉さん格だった。そのるみ子ちゃんがまさき君という男の子の肩を後ろからポンとたたいて、こんなことを言っているのを耳にした。

  「まあちゃんも大きくなったら、立派な王子様になってくださいよ」

  えっ!と私は足が止まってしまった。「まあちゃんも」ということは、自分も当然、立派な王女様になるんだけれど、という確信が背後にある。この子たちには、自分が将来、立派な王子様や王女様になるために生まれてきたのだという、不思議なプライドが宿っているのだと気づき、唖然としてしまった。走っていくるみ子ちゃんの背中を私はじっと見つめていた。

  自分が立派で美しく、みんなに大切にされている特別な存在であると、子どもは信じているらしい。昔話が王子と王女の話で埋め尽くされているのは、そんな子どもの心情と見事に呼応しているではないか。子どもはそれぞれ平凡で普通の人なんかではない。世界を丸ごと意のままにするような特権的な王族なのである。

 

(長谷川摂子「王子様と王女様」暮しの手帖第4世紀51号、p134)

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  もちろん、子どもたちはこの数年後には自分たちがいずれ王子様や王女様になることはないと気づき、そう思っていたことも忘れていくでしょう。しかしその幼いころに紡いだ自分に対する誇りが、心の根底となっていくのだと思います。自分は普通の人だけれど、大切にされるべきだ、不当に扱われるべきではない。そういうことがあれば、子どものように率直に抗議をする。これは生きていく上で重要な心持ちや力ではないでしょうか。

  その誇り高さに圧倒されつつも、子どもがその敏感さと強さをもち続けられるように接することを、自分の基準のひとつにしたいと思うようになりました。それはまた、子どもが将来、自分以外の人も自分と同じであると、注意深くなることにつながると考えています。

 



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