TEIKAジャーナル

第152回「山口薫先生と中国特殊教育」(2015.12)

2015/12/24

  2015年11月15日、母校東京学芸大学で名誉教授の山口薫先生を偲ぶ会が開かれました。多くの方が参加され、山口薫先生の日本特別支援教育への貢献を偲んでいました。

  2001年9月、上京したばかりの私は、香川大学で開催される第39回日本特殊教育学会に参加するために、初めての四国に出かけました。着陸時間が近づき、少し不安を感じ、隣席の方に色々と確認していました。そして、着陸してから何列か前にいらっしゃる年配の方が「中国の留学生ですか?」と優しく声をかけてくださいました。「はい。呂暁彤と申します」と返事をしたら、とてもうれしそうに「山口薫です」とやさしく、満面の笑顔で答えてくださいました。山口先生と会話している間、周りの方々は動かず、静かな雰囲気でした。不思議に思う私は隣の方に聞いてみたら、「特殊教育分野では誰でも知っている方ですよ!」と笑われるような返答でした。それが私と山口先生の出会いでした。

  翌日、学会会場で、山口先生がわざわざ会いに来てくださり、色々と質問・助言をしてくださいました。「よく頑張っていますね、これからも頑張ってくださいね」と励ましていただきました。

  それから、山口先生の中国との関わりがある国際交流に参加させていただいたり、本の翻訳を頼まれたりして、これまで関われなかった、英語が話せない中国の特殊教育の有名な先生達との交流を私の拙い通訳で深められ、様々な支援協力活動ができました。とても行動力のある方です。その行動力は国際交流だけではなく、中国の特殊教育支援に大いに発揮されたのです。年齢を感じさせないほどのパワーで中国に何回も足を運んでいただき、ワークショップ、座談会、講演会、などをしたり、いろんな大学や施設を視察して、中国でのポーテージ協会の設立も思案していました。また、優秀な方を日本に招待したり、有名な先生を招いて、中国の特殊教育を紹介したりしていました。特殊教育に国境はないともおっしゃいました。中国の特殊教育の大先生達と山口先生との間にいる私は、インターナションナルな特別ニーズ教育を知ることができ、人間としても大きく成長できました。

  山口先生の訃報を中国の先生達に伝えさせていただきました。「巨星隕落」(偉大な隕石が流れ星のように去ってしまった)だと山口先生の死去を悼んでいました。ここで、中国の関係者を代表し、山口先生がアジア、とりわけ中国特殊教育へのご支援に改めて感謝を申し上げます。日中の障害児を「みんなが違って、みながいい」と見守りたい。

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