TEIKAジャーナル

第17回 「コミュニケーション(communication)とは?」 (2010.10)

2011/02/28

 最近、コミュニケーションについて考える機会がありました。私が、学生たちを指導する上でも気になっていることでもありましたので少し言葉にしてみました。

  言うまでもなく、この言葉はいまや外国語というより日本語として日常的によく使われています。単に言葉や情報の<やりとり>をすることだけではなく、人と人との関係性や在り方を意味する場合が少なくありません。そして、そこには互いの「こころもち」や「感情」を何らかのカタチで揺さぶる心理的な因子が作用しているように思います。場合によっては、私たちの悩みや不安を引き起こす要因になることもあります。

  ですから、相手とのコミュニケーションの取り方の状況(上手・うまくいかなさ・下手)が私たちの仕事の有り様やこころのもち方を大きく左右します。とりわけ教師の仕事は、このコミュニケーション力の理解や使い方によってスムーズな展開が見られたり、予想外の事態に陥ったりすることがあります。子どもとのかかわり、同僚の教師とのかかわり、保護者とのかかわり、地域社会の方々とのかかわりなど、コミュニケーションなくしては成り立たない仕事です。その中でも、とくに子どもとのかかわりは教師の生命線的な役割を担います。この力量を学生たちに身につけさせたいと思っている一人です。

  その関係の中に、<安心と信頼>がうまれます。その教師自身にも<自信と勇気>が湧いてきます。これらのアウトプットとして、子どもたちが楽しく授業に学ぶ、学力が向上する、学級集団がまとまる、学年会で有意義な討論ができる、責任をもって校務分掌を遂行する、保護者会の出席率が高くなる、地域方々とのあいさつが笑顔でできるなどの状況がみられるようになります(学生たちにはまだ先のことのようですが・・・)。これらに教育者としての成長を実感するものと思います。また、社会人として、人間としての存在感や生き甲斐を味わうこともできます。

  筆者がこの夏の研修会で出会ったある県の教育委員会人事担当者は、新人教員に求める資質能力のトップに<コミュニケーション力>を挙げていました。この能力を適切に発揮する教員は、子ども一人一人とうまくかかわることができ、授業の展開を工夫する力量があるというのです。それゆえ、クオリティーの高い学級経営が必然的にうまれ、子どもの問題行動や学級崩壊の事態などを未然に予防することができると、言い切るのです。

  教師に求められるコミュニケーション力は、どのような状況のときうまく発揮されるでしょうか。私なりの発想で結論的な言い方をすると、「認知の伝達」と「感情の伝達」のバランスが維持向上されている状態のときといえます。このようなとき、仕事に対する使命感と責任感のある役割遂行がみられ、その事態に積極的な関心と温かいこころが関与します。教師としてのエンゲージメント(Engagement:仕事への肯定感)が醸し出されている状態です。ここでのコミュニケーション力が充実した職務内容の成就に資することであり、アウトカム(成果)の表出にもなります。そして、それが時間的にも初期の段階から徐々に<かかわりの質>を高めながら、変容し向上していくことが大切です。

  それには、何かの秘策があるのでしょうか。サン・テグジュペリの『星の王子さま』(内藤濯訳:岩波少年文庫)に、キツネと星の王子さまが<仲よくなる>(飼いならす。仏語:apprivoiser)場面があります(21章)。その一部分に学ぶものがあるように思います。

  キツネが王子さまに言います。

  「‥おれの目から見ると、あんたは、まだ、いまじゃ、ほかの十万もの男の子と、べつに変わりない男の子なのさ。だから、おれは、あんたがいなくたっていいんだ。あんたもやっぱり、おれがいなくたっていいんだ。あんたの目から見ると、おれは十万ものキツネとおなじなんだ。だけど、あんたが、おれを飼いならすと、おれたちは、もう、おたがいに、はなれちゃいられなくなるよ。あんたにとって、かけがえのないものになるんだよ・・」と。(中略)

  そして、「しんぼうが大事だよ。最初は、おれからすこしはなれて、こんなふうに、草の中にすわるんだ。おれは、あんたをちょいちょい横目で見る。あんたは、なにもいわない。それも、ことばってやつが、感ちがいのもとだからだよ。一日一日とたってゆくうちにゃ、あんたは、だんだんと近いところへきて、すわれるようになるんだ・・」と言います。

  また、「いつも、おなじ時刻にやってくるほうがいいんだ。あんたが午後四時にやってくるとすると、おれ、三時には、もう、うれしくなりだすというものだ。そして、時刻がたつにつれて、おれはうれしくなるだろう。四時には、もう、おちおちしていられなくなって、おれは、幸福のありがたさを身にしみて思う。‥」と。

 もうおわかりいただけたと思います。双方がよりよいかかわり合いをもち、その気持ちを伝え合い、実りのある関係をつくるには、キツネの教える三つのかかわり方が大切なのです。すなわち、①互いの存在をかけがえのないものと感じること、②言葉ではなく近くに居ること(少しずつ近づく。その位置どりはヨコの関係がよい)、③約束の時間を守ることが自分の気持ちをも満たしてくれることです。

  ひとりぼっちになっていた王子さまを勇気づけてくれたキツネの教えです。キツネも、狩りをして自分たちを狙う人間社会に不信感をもっていたのでしょう。この教えにエネルギーを得た王子さまは、別れ際にさらにキツネの言葉に学ぶのです。「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」と。そして、この言葉を王子さまも忘れないように繰り返すのです。

 キツネの教えは、人のかけがえのなさを大切にし、気持ちの伝え方を実践的に示していると思います。ここに、コミュニケーションづくりの基本があるように思います。いうまでもなく、コミュニケーションの意味は一般に<言葉による意思や考えなどの伝え方>のことです(参考:『新明解国語事典』第六版・三省堂)。このことがスムーズになるには、王子さまが体験した「仲よくなる」ためのある種のイニシエーションが必要なのです。キツネが言うように、コミュニケーションについてもその大切なところ、核心部分は<目に見えない>ものかもしれません。それゆえに、易しいようで難しいのがコミュニケーションの在り方や能力形成なのです。

  子どもたちの教育を担う者にとって、単なる言葉や論理のやり取りだけで教育活動を営むことは不可能です。むしろ、気持ちやこころの表現がそれに優先することが少なくありません。いたずらにスピード感を求め、効率化した現代社会に生きる私たちが最も大切にしなければならないことです。これを忘れたり、ないがしろにしたりするこころや行いが、相手の生き方は勿論のこと、自らの在り方生き方をも粗末にしているところがあります。まずは、キツネが教える三つのうちの一つから試みてみたいと思っています。

TOP