TEIKAジャーナル

第101回「大学と隅田川」(2013.9)

2013/09/21

  大学本館は隅田川の左岸にある。大学本館の建設とともに、それまでの堤防がスーパー堤防に改修された。そのスーパー堤防がさらに上流側(大学の裏手に当る)に拡張され、学生や地域の人々の憩いの場になっている。新設のスーパー堤防は陸地側に凹んで「親水公園」のようになっており、隅田川の河水が流入するようにできていて、水辺を散策する人々がしばし足をとめて見入っている。このあたりは、東京湾に近いため、河水の流速や水位が干満の影響を受けて変動するので、「親水公園」への河水の流入量も、東京湾の潮の干満によって変化する。その変化の様子を確認できるのが、この「親水公園」のひとつの特徴である。

  かつて、隅田川は舟運が発達し、多くの船が行き来した。潮の干満を利用して、満潮時に上流へと遡り、干潮時に下る船が多かったという。さらに、近代になって隅田川の両岸には各種の工場が建設された。船が材料や燃料、製品の大きな輸送手段であった時代、川に近いということは工場の大事な立地条件であった。「おばけ煙突」として知られた火力発電所ができたのも、河川交通による原料炭の搬入を考えてのこと。交通システムの変化により、舟運の利用はほとんどなくなった。火力発電所も閉鎖され、発電所に隣接していた元宿小学校の校庭に、解体されたおばけ煙突の一部がすべり台として残った。その元宿小学校も平成17年に閉校し、跡地に帝京科学大学千住キャンパスが開校した。大学建設にあたって、お化け煙突のすべり台は大学の裏手にモニュメントとして再生され、往時の様子を学べるようになっている。

※ 大正15年に千住火力発電所に建てられた4本の煙突。角度によって1本から4本まで見え方が変わることから「おばけ煙突」と呼ばれ、昭和39年に解体されるまで、千住名物として親しまれた。

 

  先日、授業の一環として、この「親水公園」とおばけ煙突のモニュメントを学生と見学した。大学のすぐ裏手にありながら、「親水公園」の存在を知らなかった学生もおり、おばけ煙突のモニュメントと組み合わせて、隅田川の自然と人々の行動について、説明した。日頃見慣れている場所でも、意識してみないと、意味あるものとして見えないことが多い。保育士、幼稚園・小学校の教員を目指す児童教育学科の学生には、地域に埋もれている様々な地理的事象、歴史的・文化的遺産に光を当て、教材として開発する視点と方法を学んでほしいと思っている。現在の隅田川も、注意してみていると運搬船(タンカー)の往来が見られる。往時の賑わいには遠く及ばないにしても、隅田川の舟運は脈々と生き続けている。滝廉太郎の「花(はな)」でも有名な隅田川であるが、大学のすぐそばを流れるこの隅田川に学生が無関心なのもさびしい限りである。

  ささやかな試みであるが、学生を校外に連れ出し、教材となる素材を発見し、教材化する試みをこれからも実践してゆきたい。

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