第2回 戦争と「環境」(田中敏之先生)
2016/10/11
戦争は最大の環境破壊といわれるように、戦争は人命だけでなく、環境をも著しく破壊する。誰もが分かっていることだが、今も世界のどこかで戦火の火の手が上がり、環境破壊が行われている。
「環境」を学んで職業を考えるということは今の時代のことかも知れない。昔は、環境○○などという学科や講義はなく、大学で化学などを学んでこれを何か社会に役立てたいと考えているうちに環境関係の国立研究機関の研究員になっていた。
国の研究機関の仕事とは、国家行政施策に準じた研究を行うことだが、国内のみならず、世界中いろいろな地域で起こる事件の処理に関する学術調査といった仕事もある。
1990年に、湾岸戦争が勃発し、イラクがクウェートへ侵攻し、油田などを破壊した。破壊された油田では原油が流れ出し、オイルレークといわれる原油の湖ができたり、火災を起こした油田ではその後1年以上にもわたって原油が燃え続けた。当然、クウェートでは大気汚染や海に流れ出した原油による海洋汚染が深刻となった。国際貢献の一環として、クウェートの湾岸戦争による環境破壊の調査をすることになり、研究仲間と一緒にクウェート派遣という仕事に参加することになった。約1ヶ月の調査期間であったが、私自身は10日ほどクウェートに滞在して調査活動に参加した。
私の仕事は大気分析の装置をセッティングして、現地の研究者が自分達で環境大気の分析ができるように援助することがメインだったので、外に出る機会が少なかった。
現地研究室にて
実験をするのは下働きの技術者。スタッフは自分で装置を動かして実験することはない
他の仲間は海水のサンプリングやオイルレークの調査に時々出かけるので、同行を申し出て爆撃被害が残っているイラク国境方面へ出かけた。初めて見る砂漠を車で突っ走るうち、黒煙が上がる油田を遠くから眺めたり、水面を黒く固まった原油が被うオイルレークに足を踏み入れて見たりした。爆撃で破壊された軍事施設の残骸もあった。
オイルレークと火災を起こしている油田
オイルレークと油田
オイルレーク岸辺の土をサンプリング
爆撃あと
爆撃あと(軍事施設か)
汚染海域からとってきたサンプル
クウェートでの生活は、新築未入居のアパ-ト1戸を与えられ、仲間と一緒に自炊するというものであった。買い物は近くにスーパーがあり、その気になれば、本格的な料理もできなくはないが、面倒なのでパン、果物、牛乳などを買いこんで簡単に済ませるのが日常的な生活パターンであった。(部屋の内部写真、猫、子供の写真など)
アパートの一室。ハイクラスの住居とは聞いていないが日本のマンションに比べると広く、各部屋も大ぶり
近所の子供
近所の猫。キッチンまで入り込んできた
この国は地図に見るようにペルシャ湾に面して背後に「強国」イラクを背負う小国である。産油が主要な産業で、農業生産はほとんどなく、食糧はほとんどが輸入に頼っている。真水と軍隊が国を守る最大の生命線である。行ってみると食料品などは思いのほか豊富で、マーケットに行けば、ヨーロッパの日用品も揃っていて生活に不便を感ずることはなかった。あまり上等でないフランス製の日用品も日本では見かけない新鮮な感じがする。間に合わせに買ったマグカップなどを日本に持ち帰ってそのまま使っていて、結構、珍しがられたものである。日本製品も陳列棚に並んでおり、「象印のポット」が何故かしゃれて見えた記憶がある。
砂漠地帯を走っていると羊の放牧が見られた
日常語はアラビア語である。会話は通じないし、文字はもちろん数字も読めないが、ほとんどレジ係のいうままに紙幣を出し、渡されるお釣りを無条件に受け取るという買い物である。これでも幸いなことに滞在中トラブルらしいトラブルに遭遇することはなかった
仕事のある日の食事は簡単に済ませるが、休日には日本人の仲間だけで食事に行くこともある。酒類がない、イスラム教は豚肉を食さない、など、この国特有の事情もあるが、外国人向けのホテルなどではアルコールも注文することができる。ただし、何故か自前の時も、招待を受けたときも滞在中のレストランでの外食はすべてオープンビュッフェ形式(日本でバイキング方式といったりする)であった。クウェートからの研究者を日本で食事に連れて行くと宗教上の理由で食べられない食品があるのと当人の好みが重なって、かなり面倒であったが、確かに、この食べ放題方式なら、面倒がなくてすむと改めて思った次第である。
レストランでの食事。食べたいものを自分でとってくるので、テーブルにはさまざまな料理が並び、思い思いの食事をする
環境に関する仕事でも、研究室・実験室に閉じこもり、たまに学会などで国内や国外に出張するというパターンもあるが、私の場合、フィールドを相手にする仕事をやるようになった。必ずしも仕事についたときから目標と考えた訳ではなく、研究の成り行きでこうなったような気がするが、一方では、「環境」という仕事は、コレだ、という気持ちもあったように思う。
仕事でもなければ、クウェートなどという国に足を踏み入れることは全く考えられないことで、観光による外国旅行では経験できない特異な経験であったことは間違いない。人から羨ましがられることもなくもないが、やはり命に関わる危険なこともあり、時にはハードな仕事を無理してでもこなさなければならないことも少なくない。
2005.2 田中敏之